Tan-Tan

パートナーを自死で亡くしたグリーフサバイバー(自死遺族)の毎日を淡々と綴っています サイト→『andante』https://andante069.amebaownd.com/

毎日が今生の別れ

木曜の早朝、父方の祖父が亡くなったため、熊本へ行ってきました。仕事の都合があり、いったんは行くのを諦めかけ、伯父からも「無理せんでいいよ」と言われたのですが、告別式の日取りを聞くと、強行であればなんとかなると思い(というのも飛行機がだめで新幹線移動のため)、妹と一緒に行くことに。享年93。自宅で、祖母がひとりで祖父を見ていたときに息を引き取ったとのことで、いわゆる大往生でした。
わたしが元気だったころの祖父と逢ったのは、もう7年前のこと。元気とはいえ、このころすでに病気のせいで話すことができなくなっていたのですが、意識ははっきりしていたし、こちらが言うことはわかっているようで、声をかけるとにこにこ笑いながら頷いてくれたのでした。そう、祖父はいつも笑顔だった。親戚のなかでもわたしたち家族がいちばん遠くに住んでいるということもあり、なかなか逢うことができず、だんだんと疎遠になっていったのですが、それでもたまに行くと、農家で忙しいにも関わらず、祖父を始め、みんながいつでも優しく迎え入れてくれました。
今回、祖母はわたしたち姉妹が来たということにとても喜んでくれていたようで、やはり行って良かったと思いました。当初は告別式が終わった直後に帰る予定でしたが、告別式直前に会社からメールで、仕事の最終締め切りが1週間延びたという連絡を受け、「ゆっくりしてきていいよ」という心遣いもあって、安心して収骨まで立ち会うことができました。ゆっくり、しっかりとお別れすることができて本当に良かった。
祖母は、自宅でも病院(何度も入退院を繰り返していた)でもずっと祖父の介護をしていて、祖父の最後の入院の半年間も、毎日お見舞いのために病院へ行っていたそうです。自分も高齢だし、途中で病気にもなったというのに。火の番をしながら色々と話を聞きましたが、すごいよー、立派だよーと思うことがたくさんあって、わたしは本当に甘ったれてんなあと反省しました…。そして、自分が祖母の立場だったら同じことできたかなあ、と。父親の時(3か月)ですらつらかったのに。
父親の葬儀とはやっぱり違うと思うこともあり、特に、火葬場では非常につらいことがありました。“最期のおつとめ”ということで、火葬するスイッチを喪主(つまり祖母)が押さなくちゃいけなかったんです。土地柄や風習が違うとはいえ、そういうものなの?自分だったらそんなこと絶対にできない。祖母は係のひとに言われたから、がんばって押そうとするんだけれど、もちろん押すことはできず、長男の伯父とふたりで一緒に押しました。わたしたちはそれを見届けました(あー、書いててまた涙出てきた)。伯父もつらかっただろうな。
わたしの父が3年前に亡くなったことは、祖父には知らせていなかったようです。なので今頃天国で逢って、おじいちゃんは驚いているんじゃないかしら。お父さんの方は、まあ変な話、話し相手ができて淋しくなくなったんじゃないかしら。そんなことを思いながら帰ってきました。
人の死は、たくさんのことを教えてくると同時に考えさせてくれる。わたしも、父親のことがあってから考え方はガラリと変わって、その後も人の死に触れるたびに、たくさんのことを感じている。そうそう、祖父のひ孫ちゃんたちも最後まで参列していました。伯父は、その子たちに骨までちゃんと拾わせていた。あれは相当いい経験になったんじゃないかと思う。途中、まだ小さい子は、「怖い」と言って目をそむけちゃってたけど、そうなると伯父がその子のからだをきちんと祖父の方へ向き直させていた。こういうことは学校よりも何よりも、相当大事な“勉強”だよね。
余談ではありますが、帰る日程がずれたこともあって、母方の祖父のお墓参りをすることもできました。こちらも7年ぶり。ちなみにわたしの母は、その祖父の25回忌法要で、たまたま先に熊本へ来ていたのでした。こういうタイミングって、本当にあるんだなあ。いったい誰の計らいかしら。ありがたい限りだ。
母方の祖母も母も、若くして夫を亡くしていて(どっちも相手は60代)、早くに死に別れるのはつらいだろうなあとずっと思っていましたが、今回のことで、70年近くという長い時間を一緒にいて死に別れるのとどっちがつらいだろうと思った。そんなのは比べられることじゃないって、わかってるんだけどね。答えはまだわからない。でも、なんとなくだけど、相手より一日でも長く生きられるようにいようと初めて思った。なんとなくだけどね。
立派な祖父母や親戚、そして両親に近づけるように自分もがんばろう。…と言うとみんなから「無理しないで」と言われそうだけど^^;がんばる。