Tan-Tan

パートナーを自死で亡くしたグリーフサバイバー(自死遺族)の毎日を淡々と綴っています サイト→『andante』https://andante069.amebaownd.com/

ヒプノセラピー体験

学校で催眠療法について学んでから、ヒプノセラピーに興味がわいてさっそく受けに行きました。ヒプノについては以前から友達の話を聞いていて、おもしろそうだな、と思っていたのです。その友達からおすすめの本を借りて読んだりして、自分なりに理解を深め、予約も取れたので行ってきました。
催眠療法でも有名なのは前世療法だと思いますが、先生と相談した結果、わたしは年齢退行療法を受けてきました。先生の誘導に従って年齢をさかのぼる、というやつです。催眠と聞くと先生の言いなりになってしまうのではないか、といった不安があると思いますが、自分の意識はちゃんとあるので怖いといった恐怖心はありませんでした。
わたしの場合、目を閉じるとまずそこは海のなかで、きらきらひかった青い海からどんどん沈み、暗い海のなかへ落ちて行きました。それから花畑へ。すでにそこでわたしは子供に戻っていて、周りには誰もいなくてひとりでした。色とりどりの花に囲まれ、空は晴れていて、白い雲がぽつぽつと浮かんでた。静かだけど明るい景色。背中からは川の流れる音が聞こえてきて、いつのまにか中学の制服を着たわたしが高校のグラウンドに立っていました。そこでもわたしはひとりでした。高校から帰ったわたしは家で母親とテレビを観ていた。けど、母とはテレビの話をするだけで、「今日はこんなことがあった」とか、そういう話はまったくしませんでした。
先生に誘導されて次に行った場面は2歳くらいのわたし。夕食の時間、母とご飯を食べようとすると、母はつわりで苦しそうだった。それを見て泣きたかったけど、母に迷惑をかけちゃいけないと思っていて泣けなかった。誘導によって母のなかに入ったわたしは、2歳のわたしを見て「不安そうな顔をしてるな」とか「疎ましいな」、そんなことを思いました。
次に行ったのは団地暮らしをしていた頃で、家族4人、散歩をしている場面。ベビーカーを押しているわたしはふざけて手を離し、それが電柱にぶつかってしまった。ベビーカーのなかの妹は大泣きして、母は笑顔で抱きかかえてから妹をあやしていた。それを見たわたしは、ごめんなさいと思ったけど、母に何を言われるかがこわくて言えませんでした。
それから少し大きくなって、小学1年生くらいのわたしは団地の居間でひとり、留守番をしていました。家族の誰もなかなか帰ってこなくて、友達の家に行きました。そこで友達は「お母さん、帰ってこないよ!」とわたしに言いました。それを聞いたらかなしくなって、泣きたくなったけど泣かなかった。友達の母親は夕食を作ってくれたけど、食べたら母のご飯が食べられなくなるから食べませんでした。しばらくしたら母が迎えに来てくれて、ほっとして泣きそうになったけど泣かなかった。そして母を責めたかったけど責めなかった。何を言われるか、何を思われるかがわからなかったからです。
・・・これらがわたしが退行した場面。これらの場面、実はいままでに、時折頭の中に現れるシーンだった。地震後はなおさら多くて、なんでかなあと思ってたけど、ヒプノ的に言うと、潜在意識からメッセージを送っていたみたいです。思い出しはするけど、そのときの自分がどういう感情だったかまでは思い出せなくて、誘導によって思い出せた感情がひたすら「我慢する」ことだった。言いたくても言わない。泣きたくても泣かない。そうすることによって、相手の反応がこわいし、相手が不快な思いをするくらいなら、自分が我慢した方がいい。・・・これって、数年前にホメオパシーのセッション受けてた時も、同じことをホメオパスから言われていたような(−−;2歳からそんなこと思ってたんなら、これは相当だなって思いました。だってわたしもう35歳(汗
目が覚めてからおよそ1日、ずっと頭が重たくてしんどかったです。ようやく軽くなってきた感じ。先生にも言われたけど、自分としてもまだ中途半端、って感じで、ヒプノでやれることはまだまだあると思います。でもしばらくはいいや・・・というのが正直なところ(^^;年内にもういっぺん、行ってみようかな?とは思うけど。
話を聞いている限りでは、インナーチャイルドって特別な存在だと思ってたけど、それはまぎれもなく小さい頃の自分だった。小1の頃の自分を抱きしめてみたけど、その表情は硬かった。まるで「誰も信じない」って顔でした。というか最初抱きしめるのを拒否されたし(ーー;インナーチャイルドを抱きしめた経験のある人はどうだったんだろう。その子供は、どんな表情をしていたのかなあ。
今回の体験だけでも、何かがどこかで変わっているらしいので観察中です。受けてから日も浅いので、いまのところはまだ何も変わってないと感じる。あ、ひとつだけ変わったか?と思うことは、昨日、父方の祖母が亡くなったんですけど、自分の意志で熊本には行かないと決めたことかな。いつもだったら、たぶん無理を押してでも行ったかと思うんだけど、今年はあまりに人の死に触れることが多くて、祖母の顔を見たらたぶん、しばらくは何も考えられなかったと思う。昨日の朝、オットに、「うちの親族はみんな、不思議なことに休前日に亡くなることが多いんだよ」って言ったら、「トモコさんに逢いたいんだよ」って言われて、わたしもそう思う、って思った。だから最期に逢わないという選択肢はひどいって自分でも思うけど、そのぶん、祖母のことを想うんだって決めた。それで許してくれるかな。