Tan-Tan

パートナーを自死で亡くしたグリーフサバイバー(自死遺族)の毎日を淡々と綴っています サイト→『andante』https://andante069.amebaownd.com/

だらだら考

「理解とは、誤解の総体に過ぎない」とゆーお題をオットさんからもらったんですけど、オットさんはやっぱりハルキストだなァ…。この言葉だけを読めば、まぁそう言われてみればそうだよね、で終わる話ではありますが。「理解」と「誤解」をひとづきあいに限ってだらだらと考えてみた。
通常、【相手】という人間を見たり聞いたり触ったりして、集めた情報を自分なりに判断し、「このひとは、こういうひとなんだ!」と理解するわけですが、その判断が『自分なり』なので、すでにここから誤解しているかもしれないと。世界的に“正しい”基準があるわけじゃないからねぇ。仮に世界が認めた“正しい基準”があれば、【相手】という一個人を、誤解せずに“正しく”理解することができるのでしょう。だけど、それ(正しく判断すること)自体が“正しい”のかどうかが、自分にはよく分かりません。誤解したままつきあって上手くいくのであれば、誤解したままつきあえばいーじゃん、と思ってしまうからです。「正しく理解し合っているから、わたし達の繋がりはホンモノです!」とは思えないし。それに、「自分は貴方をこうだと思っていたのに実は違っていた!」と発見できたときの面白さが良いではないですか。
人間なんて他人どころか自分のことすら、きっと誤解して理解していますよね。だからこそ、自分を変えることができるんだと思います。「あ!自分間違ってたわ!こりゃー変わらなきゃ!!」って。
大事なのは相手を理解するかどうかじゃなくて、相手をどれだけ敬えるか、思いやれるかだと思っているわたしには、いまいちピンとこない言葉でありました。ごめんよオットさん。