Tan-Tan

パートナーを自死で亡くしたグリーフサバイバー(自死遺族)の毎日を淡々と綴っています サイト→『andante』https://andante069.amebaownd.com/

Motherを見た

・・・と言っても、テーマの重さと時間的都合によりチラチラ見ていたぐらいですが、昨日の最終回のラスト45分だけしっかり見ました。芦田愛菜ちゃんの演技力は本当にすごいですね。“泣く”演技に表情が加わってるもんなー。ちなみにズームインのインタビューで、「泣く時何を考えてるの?」って訊かれてて「ママに怒られている時」って答えてました。なんてかわいい!昨日のズームインにも番宣で出てて、チャーミンをがっつり抱きに行ったり(チャーミンのくちばしにガン!てぶつかってた)、高速でフラフープを回してたりしてました。めっちゃかわいかった〜!ちなみに後ろの方で羽鳥も腰まわしてて(エアフラフープ)それもかわいかったw
最後のシーンにクリームソーダが映ってたけど、あれはやっぱり継美にとっての“2人の母”を象徴してたんですかね?虐待していたとはいえ、クリームソーダは産みの母と怜南との思い出の飲み物だし。10数年後に再会したのはたぶん奈緒なんだろうけどどーなのかなーなんて、お風呂入りながら妄想してました。
以下、ドラマには直接関係のない戯言です(オチもない話のでスルーがおすすめですーー;)。
産みの母が虐待母になっていく過程の回を30分くらい見たんだけど、それを見て、なんとなく彼女の気持ちがわかってしまった自分がいた。もちろん、子供を虐待する理由なんかどこにもないし、あってはならないことなんだけど、虐待母も初めから虐待したくて子供産んだわけじゃないんだよな・・・と思った。公式サイトの掲示板を見たら自分と似たような気持ちの人の書き込みもあったんだけど、「虐待する気持ちが分かるなんて言語道断」的レスが散見されていまして、「まぁ、そうですよねぇ。。。」なんて思いながら眺めてたんですが、いつ自分がそういう側の人間になるかなんて、正直誰にもわからないと思うんです。虐待然り殺人然り。
産みの母が虐待母になってく過程も、本当にちょっとしたボタンの掛け違えで誰でもそうなっちゃうんじゃないのかなーと思えるものだった。それはわたしが、もともと人間は弱くて、感情を理性で抑えられるほど出来た生き物じゃないと思ってるせいかな。もし、周りに産みの母を止めてくれる人がいれば・・・とどうしてもそれが気になってしまうのでした。
と思うのは、元来自分が完璧主義者な傾向があるからだと思う。「こうでなければならない」っていう意識が常にあって、そうならないと腹立たしくて自分が許せない。それを子供に向けてしまう・・・のは間違ってるって頭ではわかっているんだけど、気持ちがそれに追いつかない時があるんだよねぇ。。。でも、子供を虐待するのは間違ってる。いじめと同じで「虐待する側にも理由がある」とかそんなばかげた意見は通らない。子供は守るべき存在であり、それについて理由はない。ただし、守れない(守れなくなった)理由はある。そのとき、子供を保護する人・場所が身近にあってほしいとは思う。
“母性”とひとくちに言っても、それが自分に備わってるかどうかは正直産んでみないとわからない気がする。だから、授かることを不安に思ったりもする。子供にも完璧を求め、それが無理だとわかると、自分は子供を責めてしまんじゃないか?・・・そんな気持ちがあるうちは、母親になる資格はないんだろうなあ。自分の母が全力で自分を守ってくれたように、自分は自分の子を全力で守れるのかなあ。それともいざ産んじゃったら、こんなぐるぐる思考はどっかふっ飛んで行っちゃうモンなのかな?いまはまったく想像できないです。