Tan-Tan

パートナーを自死で亡くしたグリーフサバイバー(自死遺族)の毎日を淡々と綴っています サイト→『andante』https://andante069.amebaownd.com/

寝るためだけの帰宅

朝から晩まで、へばりつくように仕事をしています。せっかくのブログも情報発信どころか受信すらできていない(つまり巡回しきれていない)。そんな毎日のなか、思うことというか、思い出すことがあります。
パパンが逝ってしまったとき、いろいろな感情がよぎったのは言うまでもないのですが、そのなかのひとつに、「いつ死んじゃうのか分からないんだったら、いまを楽しんで生きなきゃなあ」という気持ちがありました。そういう意味で言うと、仕事と趣味を両立させた生活がしたいのですが、いまは仕事9割ってとこが現実。なので不本意な生活っちゃー不本意なんです。やりたいことたくさんあるのに(主に写真)。
ただでも、数年前に仕事でクサクサしているときに、パパンに「いっぺん死ぬ気で働いてみたら?」なんて言われたことがあって、最近はその言葉をよく思い出すのです。とゆーのもホントにいま必死だから。なにに?と訊かれると困るほど、フクザツに絡み合った気持ちの上で、精一杯ふんばっている、そんな状態だから。
パパンは、「女だから楽な方に行けばいい」と言うひとじゃなくて、どちらかというと「これからの時代どうなるか分からないんだから、自分で生活できるくらいは自分で稼ぎなさい」と言うひとだった(もちろん、「女なんだから」という心配もしてくれていたけど)。その言葉はその通りだと思っていて、いまの生活があるのはこの言葉のおかげだと思っている。じゃないと、たぶんダラッダラ働いていたんだろーし、そもそもの考え方も違っていただろうから、オットとは結婚していなかったかもしれない(これコワー)。
いま、これまでにないってゆーくらい仕事をしていて、当然のように上手くいかなくて、もーホントに毎日限界ギリギリなんだけど(ってかそろそろ超えそうなんだけど)、分からなかったことが分かるとか、見えなかったことが繋がったとか、そーゆーちいさいことに励まされて毎日なんとかやっていってるなあ、って思った。今月はほとんど休みなしで働いていてこれが来月も続く。わたしのゴールデンウィークよさようなら。まあでも、来年の今頃は、いまよりちったぁ休めてるといいな、と思う。
それにしても、生きてるひとの言葉って本当に残るもんだわねぇ。