脱臼した時間
妻が自死した写真家の写真集。まさか自分も同じ立場になるとは思わず、10年以上も前に購入した。写真展を観に静岡まで行ったこともある。
引っ越すときに持っていくか捨てるか迷って、持っていくことにした。でもそれからまだ一度も開いてない。
フミヲちゃんが撮ってくれたわたしの写真、そんなに多くはないんだけど、だいたいどれもが笑顔だった。フミヲちゃんの前ではこんな顔してたんだなあと思いながらたまに眺める。
フミヲちゃんが極度の写真嫌いだったから、ふたりで撮った写真が結婚したときの写真くらいしかない。ふたりの思い出がなさすぎる。笑
旅行に行ってもそれぞれひとりで撮ってたし、そもそも旅行に行った回数が片手で数えられるほど。少ないなあ。
無理矢理撮ろうとすると手で覆われたりフレームからいなくなったりする。
そう考えると、フミヲちゃんはこっちの世界で自分のかたち(痕跡?)を本当に遺したくなかったんだなあ、と思う。
まあそれでも隠し撮りしたやつわりとあるからいいんだけど、言うなれば「たぶんフミヲちゃん」だから、所詮隠し撮りは隠し撮りなのよね。
写真集のタイトルは「脱臼した時間」。
わたしも、そんな感覚なんだよ。
フミヲちゃんがいたとき/フミヲちゃんがいなくなってから
繋がらないの、あの日から。
まったく別の世界を生きてる感じ。変な感じ。
楽しかったはずなのにそれが思い出せない。だから毎日が寂しく思う。思い出が支えてくれるっていうけど、思い出が何処に行ったのか探さないと。見つかるかもわからないけど…。
「トモコさんは、おバカさんだなあ」ってフミヲちゃんの声は聞こえるけど、どんな表情だったかな。